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540 【中級】文法 [中級]

Belajar _____ rajin ya nak, biar nanti bisa jadi dokter.

A. yang
B. sama
C. buat
D. pada

解答:A
もっと勉強しなさいよ、将来お医者さんになれるように。

yang には、おなじみの関係代名詞のほかに、yang + 形容詞 で「もっと~」という意味をあらわす用法がある。

このような yang はあまり有名ではない。
S先生辞書になく、牛江氏も説明していません(たぶん)。
(バタオネ・小林「ちょば2」p.107 にはある)

Ohio では、
yang 4 (Jv influence; coq) forms adverb.
 (例文) Yang baik, ya!, Duduk yang baik!, Hidup yang tenang dan santai!
となっています。すなわち「(ジャワ語の影響、口語的で)副詞を作る」とのこと。

文中の単語
ya はどう訳すのでしょうか。
nak = anak

イン検では、以下のような出題があります。

(2003年第2回 B級)
Kata penghubung yang yang berarti lebih terdapat pada kalimat _____.
A. Wanita yang berkecimpung di dunia modeling umumnya senang berbelanja.
B. Apa yang kamu lihat di ruang itu jangan ceritakan kepada siapa-siapa.
C. Makan sayur-mayur dan buah-buahan yang banyak demi kesehatan.
D. Puluhan orang di desa itu menderita akibat letusan gunung berapi yang dahsyat.

lebih に置きかえられるかどうか考えればいいので、この形式ならばそんなに難しくないですが、バタオネ以外で勉強している方には、ちょっとびっくりする問題です。注意しましょう。
ところで、この yang の品詞は kata penghubung でいいのでしょうか?


(雑談)

また最近おかしな事件がありました。くれぐれも、子どもにこんなこと言わないように。


コメント(12) 
共通テーマ:資格・学び

コメント 12

sandy

お久しぶりです。そして、あけましておめでとうございます。

問題文のyangですが、「もっと」ではなく、「[形容詞]~に」という意味なのでは。つまり、「真面目に勉強しなさい / してね」だと思いますが。
by sandy (2007-01-08 13:00) 

jaman

おひさしぶりです。コメントありがとうございます。

最近さびしいので、つっこんでくれるように、わざと微妙な問題を作ってみました(ウソ)

小林・バタオネ p.107 には、
Belajar yang rajin agar kamu dapat lulus dalam ujian.
という文が、yang = lebih の例として載っています。
問題文は、それをアレンジしました。
したがって、彼ら≒イン検協会が、この文の yang=lebih と考えていることは間違いなく、出題される可能性があるということです。

他の方の意見もうかがいたいです。コメントよろしくお願いします。

>sandy さん

それでは、上に書いた過去問の正解選択肢
C. Makan sayur-mayur dan buah-buahan yang banyak demi kesehatan.
の文はどうですか。この場合は lebih と解釈できますか?
by jaman (2007-01-08 20:27) 

sandy

私は
C. Makan sayur-mayur dan buah-buahan yang banyak demi kesehatan.
のyang banyakも、「たくさん」という副詞句だと考えています。

ただ、jamanさんが上に書いたように、このyangはジャワ語の影響(つまり、もともとはジャワ語の言い方)なので、ジャワ人ではない私は間違って解釈してしまっている可能性があります。もしかして、本当にlebihという意味なのかもしれないので、ジャワ語ネイティブの意見をうかがいたいですね。
by sandy (2007-01-09 00:24) 

jaman

お返事ありがとうございます。

この yang は、私の問題文・Ohioの例文・ちょば2の例文、いずれも命令文になっています。

ジャワ語はぜんぜんわかりませんが、yang は sing でしょうか?

手元の石井和子「ジャワ語の基礎」p.304では、
「形容詞を副詞にする」として、
Mangana sing akeh. (=Makan yang banyak)
Mlakua sing alon.
という例文があります。

また、Robson&Wibisono の Javanese English Dictionary では、
sing : indicating a modal imperative eg. sing ati-ati! (be careful)
とあるので、やはり命令文と密接な関係があるようです。

ぜひコメントお願いします。
(もちろん、ジャワ語ネイティブだけでなく、日本人のみなさんも)
by jaman (2007-01-09 01:03) 

jaman

自己レスです。

中庭ノートでコメントをいただいていますので、興味のある方はごらんください。
http://sanggar.exblog.jp/4965973/
by jaman (2007-01-10 20:51) 

アルベルトウス ine_go

以前、私が運営しているmixiのコミュニティーで、書いたことがあります。参考になるかどうか、別ですが、一応、そのまま、コピーします。

インドネシア語を勉強中 コミュニティー
+*****************************************************
2006年10月19日
06:09
******************************************************
副詞の yang
アルベルトウス

INJ水曜日初級講座
神田 木曜会(19時ー20時半)
   月曜会(19時半ー21時)

***********************************************************
『coba-coba 2 (第6章),p.107』

yang には、様々な用法がある。
基本的には、名詞や代名詞を修飾するためである。
つまり、名詞をさらに、限定することである。
例:
1.buku yang merah.
  赤い本
2.buku yang 『[saya pinjam] dari perpustakaan』
  私が図書館から借りた本
3.buku yang 『harganya mahal』
  値段が高い本
4.buku yang 『bersampul merah』
  赤い表紙の本
5.ida yang 『penari Bali』
  バリ舞踊家のイダさん
上記の例文から、厳密に、次のパターンが読み取られる。

 名詞 + yang + 文
但し、
 ここで言う文は、言及情報の探しマーク[-nya]が無ければ、主語が空である。 
********************************************************要するに、
基本的に、
名詞 yang 形容詞句
    yang 動詞句 
    yang 名詞句
というのがあります。
******************************************************
INJ出版のcoba-coba2のp.107では、yang が『副詞のマーク』としての機能もあると書いてある。これは、どのように説明すれば良いであろうか。
まず、教科書の例文を見てみよう。(変更を少し加えて)
1.Belajar yang rajin,ya!
  頑張って勉強してね。
2.Istirahat yang banyak,ya!
  沢山休養を取ってね。
3.Pikir yang dalam,ya!
  深く考えてね。

上記の文は、三つともある特徴が共通している。それは、三つとも『命令文』である。

上記の内容に近い『平叙文』に置き換えれば、次の文になる。
1.Adi belajar dengan rajin.
  アディは、真面目に勉強するのだ。
2.Ayah banyak istirahat.
  父は沢山休憩しなければいけない。
3.Dia berpikir dalam-dalam.
  彼は、深く考え込んでいる。

比較して分かるように、『平叙文』にしたら、すべてのyangが消える。つまり、副詞としての役割は、いつ出てくるかといえば、『命令文』で使われている場合限りである。そして、yangの他の特徴を活かして、様々な便利な表現が出来た。

1.(........)ayo, yang benar,dong!
  さぁ、ちゃんとして(......)なさいよ。
  例えば、食卓の場面を想定すれば、(.....)は、makan という動詞に置き換えることが出来る。

2. (........)yang semangat,dong!
  気合を入れて(.....)やってね。
  例えば、職場の場面を想定して、職場では、働く「bekerja」がメインなので、言わなくても、「頑張って」といわれたら、「頑張って働いてね」という意味になる。

3.Sudaaaah!sudaaaah! yang sabar!
  もういいの。もういいの。耐えましょうね。
  例えば、彼に裏切られた親友を励ました時に、相手のせいで、涙するのを我慢?絶えるように、落ち着かせる時に、使われる。
by アルベルトウス ine_go (2007-02-05 03:51) 

アルベルトウス ine_go

自己レスで、すみませんが、
 この『もっと』は、何処から来たかは、分かりませんが、確かに、makan yang banyak,ya !って言われたら、今、食べる御飯の量よりも、さらに、多く、食べることになる。しかし、
makan yang lebih banyak,ya!
belajar yang lebih giat,ya!
pikir yang lebih dalam!
という文も自然なので、このyang の意味分析は、単純に、『もっと』だけでは良くないと思います。
確かに、ジャワ語の影響は少なからずありますが、じゃ、上記の三つの文の変わりがあるかどうかとなると、無いと思います。yang が脱落する形がありますけど。makan lebih banyak,ya!
by アルベルトウス ine_go (2007-02-05 04:19) 

jaman

おひさしぶりです。コメントありがとうございます。

まだよくわかりませんが、Makan yang banyak. の yang は、何かモダリティに関係しているということでしょうかね。
by jaman (2007-02-06 00:37) 

アルベルトウス ine_go

そうですね。モダリティーと言ってもいいかどうかは、別として、『何処までがモダリティーと考える研究者が様々だからです。』上記の見方は、『談話』のレベルから、yangを見ようというのです。相手への情報伝達 と それを対応する形 は、次のように、
 命令文  相手に 行動を要求する内容(意図)
 疑問文  相手に 情報を求む内容(意図)
 平叙文  相手に 情報を与える内容(意図)
 感嘆文  相手に 反応を示す内容(意図)
など があると仮定します。.....①

ここでは、『相手の必然性』が、文の意味を左右する大きいな前提です。

 そして、各文では、
 
 主語 +  動詞/形容詞/名詞  +   副詞  

の構造があり、
かつ、
『空主語』と『空動詞』が許されると仮定します。.....②

①②から、各文の副詞の標識マークが、それぞれ、あると考えて(無論、同じだということもあり得る)、特に、①の『肯定命令文』では、②の副詞のマークとして、yang が要求する と仮定する。......③

そして、後は、③の検証だけですね。

ただ、問題があります。
①の命令文 の定義によれば、『平叙文』でも、相手に 何か要求する意図が伝われば、その平叙文は、『命令文』に入ってしまう訳です。
例えば、
1. お手洗いを綺麗に使って頂きありがとうございます。 というのは、形が平叙文ですが、内容は、命令ですね。
2. Wah, panas,ya! (熱いね)『感嘆文』は、『窓を開けて下さい』の意図が入っています。
3. Kamu harus belajar dengan rajin.(君は、真面目に勉強しないといけない)『平叙文』は、belajar yang rajin ,ya! という意図がこもっています。
そして、この問題を解決するために、 非平叙的・非感嘆的・命令文 という形があると仮定する必要があります。.......④

④が正しければ、その形の動詞が、副詞を要求する場合、副詞のマークとして、yangを使わなければならない と結論する。.........⑤
  
 ****
でも、①②③④⑤は、あくまでも、仮定だけで、かつ、私が思いついた『例文の範囲』に限るので、データで、検証する必要があります。
by アルベルトウス ine_go (2007-02-06 01:22) 

jaman

④→⑤については、それでいいと思います。
問題は、④の仮定の妥当性にあるでしょう。
インドネシア語において、「命令文」や「法」(mood)のようなものが想定できるのか、また想定する必要があるのか、ということです。

英語命令文では、主語が落ち動詞が原形になります。
日本語命令文では、動詞が命令形(~しろ!)になります。

しかし、インドネシア語では、動詞の形はまったく変わりません。
たしかに主語は落ちますが、インドネシア語は(日本語ほどではないにしろ)平叙文でも主語が落ちることはあるので、十分な証拠にはなりません。
文末の ya! を命令文マーカーと考えるのは有力ですが、ya のような助詞 partikel(?) は、今のところほとんどわかってません。
また、ya については話者によるちがいも大きいでしょう。

モダリティや談話や情報構造は、私はぜんぜん勉強してないので、5年くらい考えさせてください(笑)
by jaman (2007-02-07 00:29) 

アルベルトウス ine_go

いいえ、いいえ、私の方が、変な議論を展開してしまって、。。。笑。

ご専門の ラテン語や古典ギリシャ語 では、法の話 は、あまり 問題になっていません。また、実は、日本語の古典語では、法の形 と 意味 が一致しているので、問題にしていませんが、現代語となると、形 と 意味が一対一 という対応が無いので、モダリティー(modal+ity)の問題が生じると思われます。ただ、日本語のモダリティーの議論を鳥瞰すると、渦のようになっています。
by アルベルトウス ine_go (2007-02-07 05:28) 

アルベルトウス ine_go

書く

書か(未然形) + ず  非現実(無いこと)
          + む  非現実(意思は現に起きていない)
          +ば  非現実(仮定)

非現実と関係している全てのコト柄は、未然形で、表せるんですね。
(どこかの論文で、書いてあるんですが、題名が忘れました)

間違ったら、訂正して下さいね。
by アルベルトウス ine_go (2007-02-07 05:33) 

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