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sandy さんから、ふたたび member-kan について [質問・おたより]

sandyです。ブログをいつも拝見させて頂きました。

さて、以前のmember-kan (memberhentikan, memberlakukan, memberdayakan)について、すごく気になりましたが、なかなか納得できていません。むしろ、もう一つ気になる言葉が出てきました。

henti - menghentikan  対  berhenti - memberhentikan (*memperhentikan)
laku - melakukan, memperlakukan  対  berlaku - memberlakukan
angkat - mengangkatkan  対  berangkat (ワンワードと見なされる?) - memberangkatkan

今度は、 satu - menyatukan    対   bersatu - mempersatukan?? membersatukan??

に悩んでいます。インドネシア人として恥ずかしいですが、インドネシア人の間でも統一されていませんね。

jamanさんはどう思われますか?
よろしくお願いいたします。


コメント(5) 

コメント 5

jaman

その後、sandy さんから、また member-kan の例をいただきました。それは、
satu - menyatukan VS bersatu - mempersatukan?? membersatukan??

で、membersatukan でググったら、すごいブログを見つけました。
http://polisieyd.blogsome.com/2005/06/16/pemersatu-atau-pembersatu/
sandy さま、albertus さま、このブログはどうですか? 
by jaman (2005-09-30 01:07) 

sandy

あのブログ知っています。私もあのブログでmembersatukanのことを知りました。但し、そのブログの中には、結論がでていないようです。
by sandy (2005-10-01 09:50) 

jaman

直接のお答えではないのですが、考えたことを少し。

以前書いたときに、sandy さんから「memper-kan という接辞はあるが、member-kan という接辞はない」というコメントをいただいたわけです。

「member-kan という接辞はない」というのは、まったくその通りであり、memberhentikan は me-[berhenti]-kan という me-kan 動詞です。ところが、これらのわずか数語をのぞくと、例えば基語 [lihat] に対して memper-[lihat]-kan と memper-kan という接辞が派生します。もちろん *berlihat という形はありません。
では、基語 [temu] に対する mempertemukan も、やはり memper-[temu]-kan という memper-kan 動詞なのでしょうか。もしかして、これも memberhentikan 同様に me-[bertemu]-kan という me-kan 動詞である(ただし、なんらかの理由で me-[ber] → memper という音の変化が起こった)とも考えることも可能ではないでしょうか。

次のような例はどうでしょう。
ふだん私たちは、なんの疑いもなく、「me-kan 動詞」とか「共接辞 me-kan」という言い方をして、その意味は(1) 使役、(2) 便宜供与、(3) 具格 dll. である…と分類しているわけです。しかし、
(1) memasukkan, menaikkan
(2) membelikan, membacakan
を、「me-kan 動詞」という同じカテゴリーに見なす根拠はなんでしょう。(1)は *memasuk, *menaik という形が存在しないので、基語 masuk, naik に「共接辞 me-kan」がついたものです。しかし、(2)は、me-動詞 membeli, membaca に benefaktif をあらわす「接尾辞 -kan」がついたものではないでしょうか。
もし私の「memberhentikan は member-kan 動詞である」という言い方がおかしいならば、「membelikan は me-kan 動詞である」というのも、接辞の外見だけにとらわれた錯覚ではないですか。

同様に、やはり以前に問題としてとりあげた「多回・入念の -i」があります。menangkapi, memukuli も、membelikan, membacakan 同様に、me-動詞 menangkap, memukul に接尾辞 -i がついたものにすぎない。とすると、
memasuki, menasihati は「me-i 動詞」であるが、menangkapi, memukuli は「me-i 動詞」ではなく「-i 動詞」である。
というのが、正しい見方とも思えてきました。どうでしょう? こんなことを考えてる人はほかにいますか?
by jaman (2005-10-02 02:11) 

INJ albertus

そうですね。全くその通りでしょう。ある新しい言葉を身に付くには、やはり伝統的な文法学が使われています。欠点や論理の飛躍がかなりあるにも関わらず、ある程度、慣れていれば、出来るようになるのです。言葉の魅力はつまり「意味」にあるでしょう。しかし、ソシュールのような構造主義者は、「意味はシステムの差異から生まれる」と。menaikやmemasukは確かに意味が無く解釈しづらい。形だけにこだわれば、menaikとmemasukは、あるはずのだが、それを使う文脈が無い?少なくとも今までのインドネシア語の世界の中で。
 少し難しい試みで、実用性が無いのですが、例えば、naik という言葉の意味を考え得るカテゴリの関数F「1.動きがある2.下から上に(なる).....n.」と見なして、分類すること。naikの中に「状態の変化・成る」という意が既に入っているので、他のカテゴリを一定だとして、naikを「menjadi lebih atas」と単純に意味づければ、menaikはmenjadi menjadi lebih atasとなる。ただ、menjadi menjadi というのは、今までのインドネシア語として意味を成していないので、menaikの形は意味のあるものとして見なされていない訳です。
 文字言語では、pとbは完全に違いますが、音の生成の段階では、似ています。早口で言えば、membersatukanとmempersatukanは、同じように聞こえるはず。なぜならpとbは、世帯が振動するかどうかだけだからです。これは、かなり怪しいと思いますが、一様暇なので、書きました。後ですが、bersatuとberduaなどが自然に聞こえますが、なぜmemperduakanよりもmenduakanのほうが自然に聞こえますでしょうか。とりあえず、方法論を考えてから、また議論したいと思いますが、これは、難しいですね。
by INJ albertus (2005-10-02 22:21) 

Akemi Yamaguchi

以前大阪でインドネシア語を教えてくれていたSandyさんとの連絡の方法を教えて下さい。

by Akemi Yamaguchi (2015-05-24 16:25) 

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