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INJ albertus さんから、-nya について [質問・おたより]

INJ albertus さんからいただいたコメントですが、新しい記事にしました。(jaman)

selamat malam Pak Jaman.
Kapan mau ke universitas bahasa asing tokyo lagi? Kalau ada waktu mari kita ngobrol lagi tentang bahasa Indonesia.
最近、[-nya]について次のように分類しましたが、論理的な欠陥がありましたら、是非指摘を頂きたいと思っています。変な日本語があったら、是非直してください。

 -nya
 機能:1.どの品詞を普通名詞化する。
    2.共通話題を指す。
 1.動詞に付く場合:
  Bis ini berangkat jam berapa? --> Bis ini berangkatnya jam berapa?
 このバスは何時に出発しますか。 このバスは出発が何時ですか。
 2.普通名詞に付く場合:
  Kamar kecil di mana? (話題性を欠けていて少し不自然)
  Kamar kecilnya di mana?
 3.固有名詞に付く場合:
  A.Osakanya di mana? 大阪のどこに住んでいますか。
  *大阪は固有名詞としての性質をなくしたので、大阪のさらに細かい部分を指すようになる。
  Osaka ll di mana? か Osaka itu di mana? は、大阪はどこにあるの?と大阪より大きいカテゴリを指す。
 B. Rianya di mana? 「リアのことを凄く親しいか話者のコントロールの範囲にあれば、自然」。強いて訳せば、リアのヤツはどこ? 間違って場面や相手を選ぶと、なれなれしく感じてしまうので、使い方は難しい。
 4.紛らわしい所有表示を明確にする(?)
   英語のmy mother's motherや日本語の母no母はどちらでも's や no などの所有表示があるので、明確ですが、現行のインドネシア語で言うと、 nama saya のように ibu ibu という形しかない。ところが、ibu ibu は複数形の形と同じなので、ibu dari ibu を使ったりしますが、どうも-nya を使ったほうがいいと思います。-nyaの機能の一つとして、共通話題を指すので、ibunyaと聞いた瞬間、深層で何か話題を探して、「誰かの母さん」と表層に訳してその次に、ibuが来れば、その誰かがibu に代入されると。[ibunya ibu] ibu saya はちなみに誰でしょう :)
 
以前、Pusat Bahasa の関係者と話したことがありまして、その方によれば、-nyaなどの用法はジャワ語の影響で標準語ではないと指摘しましたが、もう少しインドネシア語の現状に沿った記述文法を丁寧に作ってもらいたいですね。日本発のインドネシア語文法(tata bahasa Perjuangan?)がいつか出てくるのかもしれない。


コメント(2) 

コメント 2

jaman

お久しぶりです。力作レポートありがとうございます。
こういう -nya とかは、ネイティブスピーカーでない私たちには完全にお手上げです。標準語か口語(地方語)か、なんて議論はまったくくだらないです。インドネシア人による、世界初(!)のインドネシア語の descriptive grammar をぜひ作ってください(作りましょう)!
内容については難しいので、もう少し考えさせてください。

日本語について。
2行目「機能1.どの品詞を普通名詞化する」とは? 「他の品詞を」という意味でしょうか。
8行目「Kamar kecil di mana? (話題性を欠けていて少し不自然)」は? 「話題性が欠けていて」でしょうか。いずれにせよ、「話題性が欠ける」とはどういう意味か、もう少し詳しく教えてください。
12行目「大阪は固有名詞としての性格をなくしたので」 どういう意味でしょうか。
16行目「間違って場面や相手を選ぶと」→「場面や相手の選び方を間違えると」

Terima kasih atas komentar. Sampai jumpa lagi.
by jaman (2005-06-09 00:12) 

INJ albertus

Terima kasih atas koreksinya.Saya sedikit memperbaiki beberapa tempat yang di koreksi Pak Jaman. Tolong diperiksa lagi.
2行目: -nyaが付くと、助動詞(bisa・mauなど)も動詞も形容詞も普通名詞になることです。
8行目: ある場面で話している人同士の間に出来た共通話題を言いたかったのですが、話題性よりも話題だけにしたほうがいいのでしょうか。私は、言語を話すと、必ず情報が交わさなければならないと単純に思いますが、この交わす情報を話題と呼びます。例えば、a: sudah? b: sudah! というような会話が交わされた時に、その場面に、ある情報が交換されます。しかし、bはaが発信した言葉の中に、共通話題を指さなければ、b:apanya yang sudah?と逆に聞くことが出来ます。そして、aは例えばPR(宿題)nyaと答えれば、会話が「自然に」終わります。Kamar kecil di mana? の場合は、どのkamar kecilを指すかが明確していないので、聞き手が勝手に話題だろうと思われるものを考え始めて、-nyaを使う時よりも、答える時間が掛かるのかもしれません。
12行目:私は、固有名詞とは、数学で言う「prime number素数」のような存在に見えます。つまり、それ以下分解することが出来ない名詞です。例えば、大阪とは何か と聞かれる時に、--「大阪は大阪だよ。」か「大阪は日本にある町だ」-- それはそれ自身なのか または それより大きなカテゴリの中で説明されるのか と思いますが、どうでしょうね。大阪という単語が固有名詞としての性質を失うことは大阪のことを分解不可能な状態から分解可能な状態にする という風に考えていますが。
Sekian dulu dari saya , sampai jumpa lagi.
by INJ albertus (2005-06-09 01:31) 

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