195 【上級】文法 [上級]
Kalimat-kalimat berikut ini bentuknya tidak baku, kecuali _____.
A. Kepada juara pertama lomba layar itu mendapat hadiah sebesar seratus ribu rupiah.
B. Dalam perjalanan ke luar negeri itu Menteri Luar Negeri mengunjungi beberapa negara-negara sahabat.
C. Berdasarkan atas keputusan Pemerintah yang melakukan "pungli" dianggap melakukan pelanggaran.
D. Tidak pada tempatnya Anda menempelak adik Anda di depan kawan-kawannya.
解答:D
次の文は、_____ をのぞいて、形が標準的(適切)ではない。
A: そのヨット競技の優勝者には、10万ルピアの賞金を獲得する。
B: その外国への歴訪で、外務大臣はいくつかの友好国を訪れる。
C: 政府の決定にもとづき、"pungli" を行う者は違法であると見なされる、
D: あなたは、あなたの子どもを友達の前で叱ることは適当ではない。
非標準的な(まちがった)表現を探す問題。Dの文には問題はないが、A~Cには、伝統文法(規範文法)の立場からは、それぞれ一カ所ずつ問題がある、とされている。なお、問題文はすべて、例の Badudu の本からそのままとりました。
A: Kepada juara pertama lomba layar itu mendapat hadiah sebesar seratus ribu rupiah.
主語・述語の対応関係が適切ではない。(動詞 mendapat に対応する主語がない)
この文の動詞は mendapat 「獲得する」、mendapat は me- のついた他動詞なので、述語全体で考えると、mendapat hadiah sebesar seratus ribu rupiah 「10万ルピアの賞金を獲得する」である。ところが、対応する主語は、kepada juara pertama lomba layar itu 「そのヨット競技の優勝者に」となっている。kepada は「~に」という意味の前置詞。したがって、mendapat に対応する主語が存在しない。
正しい文にするには、例えば、kepada をけずって、Juara pertama lomba layar itu mendapat ... とすればよい。他に、動詞 mendapat の形を変えることもできる。考えてみてください。
B: Dalam perjalanan ke luar negeri itu Menteri Luar Negeri mengunjungi beberapa negara-negara sahabat.
名詞に、複数であることを示す数詞が修飾語としてついているのに、名詞をくり返し形にしている。
beberapa は「いくつかの」という意味である(英語の some, several)。このように、名詞に複数であることを示す修飾表現がついたときは、negara は negara-negara のようなくり返し形にはしない。なぜなら、beberapa ですでに複数であることがわかっているので、negara-negara のように名詞も複数形にすることは、「ムダ」であるからである。
これは、英語のようなヨーロッパ語で、country に some をつけたら、必ず some countries という複数形にしなければいけないこととは、対照的な現象である。
ほかに、dua, tiga, banyak, para (複数を示す冠詞)等を用いたときも同様。
正しい文にするには、beberapa をけずるか、beberapa negara にすればよい。
C: Berdasarkan atas keputusan Pemerintah yang melakukan "pungli" dianggap melakukan pelanggaran.
動詞が他動詞形であるにもかかわらず、前置詞を用いている。
文頭の berdasarkan は「~にもとづく」という意味だが、接尾辞 -kan は他動詞であることをあらわしている。あるいは、-kan は前置詞の代用である、ともいえる。したがって、前置詞を使わずに、直接後ろには目的語がこなければならない。
正しい文にするには、前置詞 atas をけずって、 Berdasarkan keputusan Pemerintah ... とすればよい。
一般に、接尾辞 -kan, -i は、他動詞であることを示す。したがって、どんな動詞であろうと、-kan, -i の後に前置詞がくるのはおかしい。
なお、問題文の pungli は pungutan liar のアクロニムで、「不法な通行税」のこと。
D. Tidak pada tempatnya Anda menempelak adik Anda di depan kawan-kawannya.
正しい文である。
文頭の tidak pada tempatnya を、どうかと思った人もいるだろうが、これは「適当でない」という意味のイディオム。特に問題はない。
この文は、以前 Badudu の本を紹介したシリーズの中で出てきました。見覚えがある、という方もいらっしゃったかもしれません。
(雑談)
正しい文・誤っている文を選ぶ問題は、A級・B級では頻出です。しかし、このブログで何度も申し上げている通り、言語学の立場からは、このような「規範文法」的な立場の押しつけは、たいへん問題があります。もちろん、その「誤っている文」が、通じなかったり、文意が明らかにおかしかったり、コミュニケーションに障害となる可能性があったりするのであれば、私たちはきちんと学ぶ必要があります。しかし、その「誤っている文」を、彼らインドネシア人も頻繁に使い、実際に通じ、コミュニケーションに問題となる可能性がほとんどないのであれば、それは「重箱の隅をつつくような」悪問でしかありません。百歩譲っても、彼らインドネシア人は、「より良いインドネシア語」建設のために、それらを学ぶ必要があるかもしれませんが、外国人学習者が、そんなことに時間を費やすのは、まったくの無駄です。
日本語の例でいえば、例えば、「誤っている日本語」の典型的な例として、「食べれる」のような「ら抜き言葉」があります。これを、外国人にはどう教え、また外国人向けの「日本語検定試験」では、どのように出題すべきでしょうか。
現実に、おそらく30代以下の日本人の「ら抜き言葉」の使用率は、私の感覚では、日常会話では80%、メールやブログのようなインフォーマルな書き言葉では60%だと思います。(詳しいデータをご存じでしたら、教えてください。)ですから、「食べれる」という表現を知らないと、外国人は日本人とのコミュニケーションに問題が生じる可能性は大きいでしょう。伝統文法がどうであろうと、当然、彼らに「ら抜き言葉」を教え、またテキストにも載せる必要があります。
「日本語検定」で出題するかどうかは、意見が分かれるところだと思います。今の段階では、筆記(読解)問題では載せないほうがいいかもしれません。しかし、リスニングでは、使うべきだと思います。
少なくとも、
次の中から正しい表現を選びなさい。
A. 食べれる B. 来れる C. 取れる D. 見れる
のような問題は、絶対に出すべきではないでしょう。
(つけたし)
私だったら、次のような問題を出します。
【インドネシア語検定 特A級 時間:60分】
上のA~Cの文は、いずれも「規範的」な立場からは、問題があるとされています。
① どのような問題があるとされているのか、日本語で簡潔に説明しなさい。
② あなたは、そのような「規範的」な立場に対して、どのように考えますか。日本語(または、英語など)の例と比較しながら、インドネシア語で述べなさい。
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