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ことばとその意味 (2) [正しいインドネシア語]

2. seluruh, semua, segala

  この3つの言葉の使い方は同じではない。

  seluruh 「全体」という語は、意味されることがらが一つのものであり、全体として一つのまとまり (kebulatan) をあらわすときに用いられる。すなわち、次のような句で用いる。
    seluruh dunia  「全世界」
    seluruh tubuh  「全身」
    di seluruh negeri  「全国で」
  seluruk rakyat 「国民全体」と言うのは、一人一人の人間としてではなく、その国民を一つのまとまりとして考えるときである。 seluruh の類義語は segenap である。selurah kekuatannya dikerahkannya 「すべての力が動員される」というのは segenap kekuatan という意味であり、 seluruh tubuh anak itu berkudis 「その子どもは全身に疥癬がある」というのは segenap tubuh anak itu berkudis と同じ意味である。

  semua 「すべて」という語は、意味されることがらは数が多く、数を強調するときに用いられる。例えば、
    Semua orang kagum kepadanya.
  「すべての人は彼に感心した」
    Semua yang dikerjakannya tak ada yang beres.
  「彼が行ったすべてのことは、一つもきちんとしていない」
    Semua permintaan anaknya diluluskannya.
  「その子のすべての願いは聞き入れられなかった」

  segala 「あらゆる」という語は、 semua と同じ意味が含まれているが、この語には意味されることがらが多くの種類であるということが強調されている。例えば、
    Segala perbuatannya tak ada yang bercela.
  「彼のあらゆる行為に、一つも非の打ちどころはない」
    (その行為は数が多く、種類もさまざまである)
    Segala sesuatu yang terjadi pada diri kita sudah ditentukan oleh tuhan.
  「我々自身におこるすべてのことがらは、神によってすでに定められている」
一つめの例文では、 segala という語は semua に置きかえることができるが、二つめの文では置きかえることができない。


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